夢想家

夢の続き

今後の就活・留学について

先週、しばらくお休みをすると書いたんですが、ちょっと報告したいことがあってまたまたブログを書いています。

就活についてです。先日、以前より応募していたUC Davisに6月末から3ヵ月行くプログラムの学内選考が通過しました。個人的にはToeflの点数も高くないし、成績も悪くはないといっても抜群に成いいわけではないという状況下で、もしかしたら落ちるかもなあという一抹の不安を抱えていたので、素直に安堵しています。一方でこれは学内選考であり、UC Davis側が受け入れ許可を出してようやく確定するのでまだいけるかどうかはわかりません。ただ多分大丈夫なんじゃないかなと思っています。というわけで、確定ではないにしろ、多分6月半ばくらいからアメリカにしばらくいます。おそらく3ヵ月で帰ってきますが、もしかしたらもう少し放浪してから帰ってくるかもしれません。その時はその時ということで。何のために行くの?とかは日を改めて説明したいなと思っています。

そして関係してくるのが就活です。今まで散々喚いている通り、今は就活をしています。そして割と自分が頑固というか、プライドが高いというか、なんというかでそんなに行きたいと思える企業がなく、そしてその少ない企業も行けるかどうかかなり怪しいなという感じなので、このままだとマジで終わらないという悲しい感じになるなと思いました。それもあって、皆さんもご存じの通り、留学をして留年をすることで再トライしてみようという気持ちになっているというわけです。完全になめてますね。ただ、前回のブログで書いた通り、楽・/天(検索回避)から内定をいただいており、そこに行こうかどうかはいまだに悩んでいるという状況なので、どこも決まらなくてもそこに行く可能性も多少はあります。色んな人の話も聞きながら最終的に決めていこうかなと思っています。

そして具体的に今後どうしていくのかを記しておきます。誰の参考にもならないと思いますが。

まずは就活をします。2019年の6月まで20卒として活動をしようと思っています。ただそんなに数は受けないと思います。ディベを中心にいくつか自分が行きたいと思った会社を一桁ぐらいの数受けます。ただ練習用にそれ以外も受けたいと思ってはいます。

そしてこれがうまくいった場合について。すなわち、行きたい会社に内定をいただけた場合。とりあえず6月からしばらくアメリカに行きます。帰るのは多分9月末です。ちょっと未定ではあるけど。とりあえずそれぐらいを想定しています。そして、一応可能ならば留年させてくれないか頼むと思います。これはまだ社会に出たくないのと、もう一回他の国で生活してみたいと思っているから。ちなみに単位は足りてます。しかし、そんなにうまくいくとも思えないので、もし却下されたら諦めて2020に就職します。

そしてうまくいかなかった場合について。当然内定が存在しないという状況にあるので、もう一年やるのを前提にします。とりあえずはアメリカに行きます。そして留学をしていたという留年の正当化のための理由を作っておきます。そして余裕があれば11月までどこかにいて、ボスキャリに参加しようと思います。ここでもしかしたら内定を取りに行くという説があります。3日間しかないイベントですが、割と内定は出るらしいです。まあ現実的にはボストンまで行けないかもしれません。それは状況を見てまた判断します。そして基本的にはボスキャリに行かないことを想定して、また来年21卒として就活をします。えらい長期戦ですね。今年ダメなのに来年通るのかという疑問はさておき、一応もっと数を受けることも想定してやろうかと思います。ここで内定が無かったら絶望的です。一応そのあと6月くらいにある東京キャリアフォーラムに参加する手もあります。が、そんなにそれは甘くないだろうなと思っています。頑張りましょう。そして一応そこで就活終了という感じです。そこでもまだなければどうしようね、起業でもしようかな。

そんな感じで、高校の時に浪人するからという理由で頑として他の大学を受けなかった自分らしい選択だなあと思います。歴史は繰り返す。というか人間は3年では成長しないということでもありますね。とはいえ、まずは目の前の就活を真剣にやりたいと思っています。お互い納得いく就活ができることを祈っておきます。では。

p.s.

新しくインスタアカウントを作りました。留学とか含め、もう少し記録を残しておこうかなって感じです。pati_0326です。

お休み

突然ですが、しばらくブログを休載します。すみません。理由は思ったよりも就職活動が忙しかったためというひどく簡単な理由です。ブログ書く暇ぐらいは捻出できるものの、精神的に、そんなことをやっていていいのかという気持ちが出てきて、とても暗い色をした不安とも取れる焦燥感があることが原因。この現象には自分でもよく陥ってしまうことで、何なら常にこの焦燥感に苛まれているここ5年程なんですが、どうもこの性格は直りそうもなく、諦めて受け入れて、いっそこの感情を引き連れて生きていくことを決心しているぐらいなんですね。というわけでよもや一生就活が終わらないのではという気持ちを抑えつつ、もう少し気合入れてやっていきたいと思います。一方でインターンにも参加させていただいた某IT系の楽・天(検索回避)に内定をいただいて、現在絶賛勧誘を受けているという状況なので、もしかしたらそこに行くかもしれません。ただ行かなそうな雰囲気がしますね。ちょっとまた考えます。そんな感じで鬱ではあるので、ぜひ話相手になってくれることを皆さんにはお願いしたいです。就活をしている皆さんは一緒に頑張ろう。就活をしていない皆さんは残り少ない大学生活をちゃんと楽しんで、たまには愚痴を聞いてください。では。

進撃の巨人・東京喰種・約束のネバーランド

最近、いや最近ではないけど、進撃の巨人とか東京喰種とかが流行ってるよね。割とシリアス系で、そんなに大衆に受けるようなタイプの漫画ではないかなーと思っていたのだけど。やっぱりジャンプ系の友情・努力・勝利みたいな王道漫画が人気は出ることは多いじゃん。最近だと僕のヒーローアカデミアとかでしょうか。その中で進撃とか喰種とかが売れてるのは面白いなと思って、同時に思うこともあったのでちょっと書いてみました。

喰種とかって、所謂ハーフ系なんですよね。何とのハーフかというと、人間以外の新しい種族とか生き物とか。そういう作品は面白いことが比較的多い気がします。個人的にクレイモアという作品がとても好きで、ぜひ読んでほしいんですが、それも同じくハーフ系です。自分の中では、これらは寄生獣がルーツにあると思ってます。寄生獣も、普通に暮らしてた人間がある日突然謎の生き物に寄生されて、右腕だけ違う生き物になるっていう話。何ならルフィより前に手が伸びてるからね。もうワンピースの主人公の能力パクりやんっている。能力なんて往々にしてどっかで使われていたものと同じになるのでしょうがないですが。それで話は戻って、なぜ自分がこういったハーフ系の物語が好きかというと、大体のケース強い葛藤が生まれるからだろうなと思います。基本的にハーフとは言っても、全然関係ないモノとのハーフではなく、生物とのハーフになる。生物にはそれぞれ意志があって、生物なりに生存のために最善を尽くしたりする。しかもこういう物語での生物は人間よりも上位の捕食者とかで、数は少ないマイノリティではあるものの、非常に強力で人間は生身では勝てなかったりする。そこでなぜか人間と混ざることになる。その本人は、人間側の主張も生物側の主張も分かっていて、そこには絶対的な善とか悪はなく、お互いの共存しえないエゴとかになっている。そのジレンマの中で、自分なりの納得を得ないととてもではないけど生きていけない。そこで普通の生活ではありえない苦悩や葛藤が生まれる。それを描くことによって、不自然でなくリアルなタッチで人間の感情を浮かび上がらせることができる。更に、人間の上位捕食者を導入することにより、ある種絶対的な存在であった人間を相対化することにより、人間の普段の行動に疑問を呈することになる。それは得てして斬新さを伴うので、読者は少なからず熱中してしまうんじゃないじゃないかと思う。つまり、最初の設定はかなりフィクションな側面が強いものの、それ以外の要素はほとんどリアルであるために、最初の設定だけ飲み込んでもらえば、そのあとは違和感なく葛藤や苦悩、問題提起ができるので、面白いと感じることが多くなるのかなあと思ってる。

それとクレイモアもそうなんだけど、シリアス系の進撃とか約束のネバーランドとかの特徴として、実は自分が見ていた世界は本当の世界の一部で、本当の世界はもっと果てしなく広くて異文化だったみたいなのも多いですね。これは昔からよくある手法なんだろうけど、世界が違うのに気が付くと、それまでの世界に起こっていた出来事の解釈が全部壊されて、すべてが辻褄が合う形で再構築されるんですね。読者は元々の世界観に没入していて、違和感は感じながらも元の世界が正しいと思い込んでいるから、そこで急展開と腑に落ちる感じを得られるのかなと思ってます。だから読んだ後の謎の高揚感が生まれて、面白いと判断することになるのかなと思う。ただ、これ昔は新しい斬新な描き方だったんだろうけど、もう完全に陳腐化してしまっているから、あ~はいはいこういう系ねってなるので嫌ですね。もう少しひねってほしいなと思ったりもする。

まあ何が言いたいかというとクレイモア面白いから読んでみてっだけです。

では

p.s.

AppleのワイヤレスイヤホンのAirPodsあるじゃん、あの白いやつ。あれダサくね?付けてる人美意識崩壊してるの?耳からタバコぶら下げてるみたいになってない?

どこにもいないから、探すというか、作ってる

自分探しの旅ってあるじゃないですか、あれって意味あるんですかね?なんというか、自分って旅先にいるんですか?っていう。一人旅はいいよ、自由だし、開放的だし。確かに無限に時間はあるから、思索にふける時間はあまるくらいあると思う。ただ、それで色々考えたところで自分って見つかるのかなって思う。個人的には、自分探しの旅で見つかるのは美味しい地酒ぐらいなものだと思う。それとご当地キティちゃん。これは見つかる。探さなくても無理やり視界に入れてくるぐらいに見つかる。でも自分なんて見つからなそう。

てかそもそも自分なんてどっかにいるんですかね。自分なんて、ただのイメージであって、なにか固体的なものがあるとは思えない。どちらかというと、限りなく気体に近い流動的なもので、捕まえようとしても、スルりと抜けられてしまいそうな感覚がある。伝わるかな?まあいいや。過去の積み重ねとしての自分がいて、確かにそれは紛れもなく自分ではあるんだけど、だからと言って未来の自分を表しているわけでは無くて、更に言えば今の自分すらその枠組みから完全に自由な存在な気がする。未来の自分は別に過去の延長線上にあるのではなくて、というかそもそも過去すらも連続な線ではなく不連続の繰り返しなんじゃないかとまで思っている。いや不連続の繰り返しというか、無数の点があって、それを回帰分析するみたいに近似できる線があるけど、あくまで近似してるだけみたいな。その程度な気がする。

そんなわけで、自分なんてどんなに探しても見つからないと思うんですよ。ないものを探しても見つかりっこないという理屈。だから自分探しの旅なんてするもんじゃないですね。

となると、自分は探すのではなく、作る方がいいんじゃないかと思う。さっきもあったように、別に自分の未来を自分の過去からのつながりと切り離しても大丈夫だと思う。一貫性なんていらんでしょ。時間はすべてを変えるのだから。蛇足だけど、一貫性があることが正しい理論って意味わからんくない?一貫性があった方がいいっていうのは、他の人が予測しやすいぐらいしかメリットがないような気がします。だって状況に臨機応変に対応することの方が何かに固執することよりもはるかに大切だし、判断基準自体も変わってくることの方が多いように思える。一貫性がある方がいいなら永遠に狩猟採集生活を送っていてください。話がそれました。自分がどういう風になるかっていうのは、過去にどんな人間だったかよりも、現在は未来にどうなりたいと思っているのかが重要な気がするのです。そうすると、多少無理やりでも新しい姿を具体的にイメージして、過去にとらわれずに冒険的に挑戦していくことが大事だと思う今日この頃です。より早く成長するためには高い負荷をかけたほうがいい理論と同じ感じ。過去を気にしてしまうのはしょうがないとは思う。コンコルド効果とかもあるじゃん。過去の投資が大きいとやめられないみたいな心理的効果のやつ。それでもコンコルドは製造を止める方が合理的なのと同じで、過去の自分は過去と切り捨てて未来の自分を作っていくことが大切なんだなあと思っています。そしたら、自分が望む自分に近づけるんじゃないかと思ったりしてる。

自己啓発本みたいな記事になってしまった。では。

p.s.

未来になりたい自分はプリキュアなんですがなれますか?

就活の軸

就活をしていて、面接で聞かれることランキングトップ2は「学生時代に頑張ったこと」と「志望動機」だろう。レアルマドリードもびっくりの最強2トップである。レアルがどんなフォーメーションなのかは知らんのだけど。就活生であれば、「学生時代に頑張ったこと」略して「ガクチカ」はそんなに困らないのではないだろうか。あまりにも聞かれるのである程度エピソードを考えてると思うんですよね。そのエピソードの強さはともかく。しかし志望動機。これはそんなにうまくいかない。当たり前なことに、違う会社であれば違う志望動機を考えなければならない。得てして本音と建て前は違くて、本音をうまく隠しながら建て前を色々考えることになる。そんな感じで何とかやっていくことになるんですね。

そして、志望動機の一種に「就活の軸は何ですか?」という質問がある。これに対して、就活生は色々と思い思いにしゃべっている。グループ面接(何人かを同時に面接する形式)でそれを見るといいようもない違和感を感じる。確かにみんなが喋っている内容は嘘ではないだろう。でも、面接官も学生もそんなに軸が少ないわけないだろうと思う。そんな二つか三つの軸だけで就活しないやろっていう。でも、自分がどんな軸で就活しているのかもあまり言語化できていなかったので、ここらで言語化してみることにした。ただこれを考えるには、どのように生きたいのかという大きな目標から逆算する必要があるんですね。そう考えると、この質問は短い割によくできているなあと感じた。ということで、一種の宗教観も持ちながら、ある程度一般性を持つ形で、自分がどのようにキャリアについて考えているのかをパワポで作ってみました。特に就活生には、もちろん他の人にもちょっとは参考になるのかなと思うので公開してみます。こんな感じでキャリアについて考えているよ~ってやつです。ちょっとは客観性と論理性があるように分解してみたので、ぜひ御覧ください。

ということで以下のPDFファイルです、どすん。

Dropbox - キャリアbyPati.pdf

 「これは違くね?」とか「こういうのもあるよね」とかあれば教えていただけると嬉しいです。

めっちゃ真面目な記事になりましたね。では。

p.s.

すべてを満たすのって高収入の優しい美女のヒモな気がするので求人出しておきます

18年間とインターミッション

今日はA2のテストが終わった。別にものすごい忙しかったわけでもなく、5科目だけである。ただ突然Toeflを受けたから実質6科目になったみたいなところはある。忙しくなかったかというとそれはそれで嘘で、学部に入ってテストを受ける度に怠惰な性格になってしまって、段々と事前に勉強しないようになったので、単純に前日の勉強量が異常に増えていって困ったなあという感じにはなっている。前日に勉強すれば間に合うと思ってしまうと、勉強しなくなってしまうよね。今回も完全にそれ。正確にはレポートとかがあって純粋に忙しかったというのもあるけど。まあそんなことは置いといて、ここで言いたいのはA2のテストが終わったということになる。もしすべての単位を回収できていたら、これで78単位を回収できたことになる。経済学部は80単位を集めれば卒業できるので、残るは2単位ということになる。2単位ということは経済学部においてはそんなに苦労せずにとれる。多分。そして、留年をする可能性を残すために、単位は意図的に残しておかなくてはいけない。東大の場合、単位を取り切って卒業の要件を満たしてしまうと、留年したいって言っても卒業になってしまうんですね。留年したい人は気を付けてください。そんなにいないかもしれませんが。そして、ゼミは一応あるんだけど、自分は自主ゼミに入っていて、単位が出ない代わりに隔週にしかない。更に言えば、自主ゼミだからぶっちゃけ休んでも問題がない、ここだけの話。

というわけで、本日をもって実質的に学校というものから解放される。自分の場合には幼稚園に通っていたから、3歳のころからほぼ毎日学校に通っていたことになる。それが本日で終了である。18年間にもなるのか。20歳と少しの中での18年。あまりにも長かった。別に幼稚園の頃とかはそんなに記憶もないわけで、別に長かったなあと初心に帰ることはないのだけど。単純に18年間という年月を見ると長かったんだなと感じる。2歳までなんてほとんど記憶はないのだから、学校に行くというのが自然の状態になっていた。毎日、とりあえず朝起きて学校に行くっていう生活が終わるってことだ。ちょっとした感慨深さがある。一つの区切りみたいなのが自分にできた。多分もう少しで就職することになるから、そしたらまた毎日仕事に行くという生活が始まるので、それまでの少しの間の休憩。社会がこのままの状態で行けば、数十年は毎日朝起きて仕事に行くという生活をする羽目になる。その地獄のような世界に行くまで、少しだけモラトリアムを得ることになる。ちょっと前に発売した乃木坂の生田絵梨花さんの写真集のタイトルがインターミッションで、これは舞台で幕の途切れを意味するらしく、そんな気持ちである。インターミッション。自分の人生の第一部が学生生活だとして、第二部が社会人生活だとすると、その間のインターミッションが今日からほんのしばしの間になる。自由の身ではあるね。やりたいことをできる絶好の機会かもしれない。少し、立ち止まって、いろいろ考えてみてもいいね。就活がまだ終わらないから、そんなに自由にいろいろやることはできないのだけど、それでも少し気が楽になる。やっぱり大学に追われるのはなんだかんだ大変だし。この時間を得られる幸せを感じながら、ゆっくり生きていこうかと思います。

そして、せっかくの区切りなので、何かしようかなと思って、一人焼肉とか行って勝手にエモくなるやつでもやろうかなとか、自分へのご褒美的なノリでスイーツでも買おうかなとか考えたんだけど、ただ経験的に考えると虚しくなるだけだと予想できたので、なんとなくバイトを入れて、9時まで働いて帰った。でもそれだけだとそれもそれでちょっとつまんないなとも思ったので、何か区切りになることとでもしようと考えた。

そして、思いつきでいつも履いている靴を捨てた。そして以前に買ったけど、一回もまだ履いていない靴を出してきた。今の靴はもともと結構使い古してしまったというのもあるけど、過去と今日からを区別するために、学校から帰ってきて、そのまま捨てた。新たな一歩をまた踏み出すために。靴が変わっても、何も変わらないなんて、それは紛れもない事実なんだろうけど、時にはそういう合理主義的な発想を捨てて、少しエモーショナルな行動をしてみようと。新しい靴を履いて、新しい足音を響かせて、ゆっくりインターミッションに進んでみよう。そんなことを思う、最後であり、最初の日にした。では。

p.s.

嵐が解散したので、就活辞めて代わりに嵐になろうかなと思ってます

持っている

家で家族とテレビを観ることがある。ドラマや映画、ニュースとかも観ることがあるが、バラエティとかも観る。バラエティ番組の特にロケとかだと、ちょっとなかなか起こらないことや、すごいことがたまたま起こることがある。テレビ番組だから、当然それを大きく扱って、これでもかというほど強調する。すると、僕の母親や兄が、その状況を作った芸能人に対して、「(運を)持ってるね」とか言うことが多い。それを聞くと毎回なんかムカついてしまう。もちろん、そんなことで家族に突っかかって喧嘩を売ることに大して意味はないから、何も言わないで沈黙に徹する訳だが。まあ確かに言いたいことはわかる。奇跡的なことに出くわしているのだから、運がいいという捉え方をするのは必ずしもおかしいことではない。だけど、本当に「持っている」からその場に居合わせることができたのか。その奇跡を起こすことができたのか。いや違うやろと思う。それは運がいいからではない。その人が色んな事をしようと、とにかくやる試行回数を増やして、どうやれば面白いことが起きるのか必死で考えて、来たチャンスを血眼になってものにしてるだけだ。そこには周りには悟られないような血の滲むような努力があるはずだ。ただ待ってるのでは決してない。その必死の努力を、一番よく見せようと莫大な数の人がうまく撮って編集して、視聴者である自分たちが目にしてるわけだ。何時間も必死で撮影して、そのうちのほんの一部が電波で流れていているのを観せてもらってるに過ぎない。ちょっと想像すれば、それが分かるはずだ。それを何で「やっぱり成功してる芸能人は持ってるね」という言葉だけで終わらせることができるのか。自分は何もせずに、大して努力もせずに惰性で生きているのに、努力している人を観て、たまたま運がいいからすごいことが起きているとしゃあしゃあと言えるのか、おかしいだろ。ちょっとは想像力を持ってくれ。そんな風に思ってます。それとムカつくついでにもう一つ。自分は割と好奇心が強いほうなので、新しいことをよくやるわけです。たまに他の人から見たらよくわかんないこともやってたりする。すると兄が「できるわけないじゃん、バカかよ」とか偉そうに口出しをしてくる。できるかどうかなんて、実際にやってみなければわからないし、やる前からできないと決めつけることには何の意味もない。しかも、何で「できない」という発想になるのかが分からない。別にそれでプロになろうとしてるわけじゃない。そりゃそれで生計を立てるとなったらそんな簡単にはいかないだろう。でも別にお金を稼ごうとしているわけではない。単に、それをやること自体を楽しもうとしているのである。その結果としての質は割とどうでもいいことだ。別に音楽を作るからと言って、B’zとかMr.Childrenになろうとしているわけではない。矢沢永吉にも米津玄師にもなろうとしているわけではない。ただのよくいる音楽が趣味の人になるだけだ。プロゲーマーと肩を並べるくらいになれないからってゲームをしない理由にはならない。それと同じである。

何で人は何かを始めたり、努力している人の足を引っ張ろうとするのだろうか。色んな人がいて、いろんなものが溢れてる社会の方が面白いと思う。誰かがよくわかんないことに時間とお金を使っていたとしても、自分の時間もお金も無くなることはない。むしろ面白い話やコンテンツが周りに増えるのだから、歓迎すべきことのはずである。親だったら心配する気持ちも分からなくもないが。

みんないろいろ失敗すればいいと思ってる。才能があるかないかなんて、やってみなきゃわからないんだから、とりあえずやってみようよ。今まで、Twitterとかいうのにあり得ん長い時間を使ってきたのだが、そこで学んだとても大切なことがある。それは、「失敗した話や嫌な思いをした話はそこそこ面白くて、それを他の人に話したり、ツイートすると受ける」ということだ。受験界隈出身の人にはコンテンツ力という言葉が懐かしいのではないだろうか。このコンテンツ力というのは、楽しく生きるにはとても大切なんじゃないかと思ってる。この考えさえあれば、失敗しても、ネガティブなことが起きても、むしろ話のネタが増えてうれしいことに変わるのである。挑戦したら、成功したらそれでいいし、失敗したらネタにすればいい。どう転んでもメリットしかない。そんな感じで少年の心をもっていろんなことに手を出したいなと思ってます。中途半端な感じになったら?。それは知らん。

p.s.

最初にチーズのピザにハチミツかけた人凄いよね。世紀の発見でしょ。新しく賞設立するレベル。ノーベルハチミツ賞とか。