夢想家

夢の続き

面接官になって

お久しぶりです。

昨日と今日でゼミの面接官をやりました。弊ゼミは学生が代々選考するという制度を取っており、今年もそれを踏襲して四年生である我々が三年生を採用した。そこで初めて面接官をやったわけだけど、色々学ぶことがあったので、それを言語化してみようと思う。

アリストテレスは弁論術という本の中で、人柄による説得、感情に訴える説得、論理による説得の3種類があると述べた。アリストテレス自身は論理が一番重要だと述べているものの、他の二つも同等程度に重要だとも述べている。今回はそれに沿って書いてみたいなと思う。

まず人柄について。人柄は正直入って10秒で大体が決まる。印象というものの影響力は絶大。部屋に入ってきて、最初に話始めたくらいでなんとなく印象が決まってしまい、それが覆ることはかなり稀。特に重要だなと思うことを並べてみます。まず笑顔であること。これは当たり前だけど、一番重要。印象の半分くらいはこれですね。そして見た目。見た目でこんな人だろうなとなんとなくのプロファイリングをしてしまう。そしてそんなに間違えていない。確証バイアスである面も否定できないんですが、そういうものだと判断する方が重要。そして立ち振る舞い。失礼であるのが最悪ですね。敬意と丁寧さが重要です。過度に丁寧だとそれはそれでめんどいですが、丁寧であることを求める人がいる以上丁寧にやることは必要だなと思いますね。

そしてエピソードがその印象を変えることもあります。抽象的にこういう人ですって言われても、そうなんだとなるけど、少し印象に残りにくい。ただそれが本当なのかはわからないと、見た目の印象を中心に判断してしまうので、まずは見た目の印象を作り込んで、その上で見た目の印象を覆せるようなエピソードもあるといいなと思う。さらに言えば、いい人であるのは最低限の足切りであって、そこから何をプラスできるのかというのが重要になってくる。最終的にはいい人だけでは採れないなと思う。突出した何かがないと、いい人ではあるけどねで終わってしまうなと。それと話しているときの仕草でどんな人なのかはわかる。冷静に話すと頭良く見えるかもしれないけど、実はそうでもなくて、ただ無愛想な人に見える。だから楽しそうに話すことが非常に大事。

次に感情に訴えることについて。最終的に決めるには論理でなく感情が必要なので、感情に訴えることは極めて重要。そこで重要になってくるのは、熱意と、一貫性と、話し方かな。熱意は極めて重要。めっちゃ行きたがってる人を落として、そうでもない人を採るのはなかなかできない。めっちゃ行きたいことをアピールしていくと通してあげてもいいかなと思う。そしてその根拠も必要。それが作り上げた根拠なのかどうかは、今までの人生の行動との一貫性でわかる。全然違うことを言ってると思ったら、まず落としてしまう。なぜなら信頼できないから。軸の一貫性が必要かなと思う。そして話し方も影響する。淡々と話すと、当然熱意は伝わらない。若干大げさかもなぐらいに話した方が伝わる。そしてゆっくり話す方が入って来やすい。相手を論理的に説得するのも方法としてありだけど、論理的なことを感情とともに話して欲しい。抽象的なことではなく、具体的なことを話して欲しい。なぜなら、抽象的な話だとそうなんだと思ってしまうだけなので。さらにコミュニケーションをとるイメージで話して欲しい。一人語りでもいいなと思う子は多いけど、それでもやっぱり相手と対話できると印象は大きく違う。そしてあくまで相手を楽しませようとするのは大事。正直に誠実に接して、相手がどんな顔をしてるのかはっきり目を見ながら確認して、端的に思いを伝えていくことが大事。そして「まあ」とか「あの」とかはあまり好印象ではない。ただ目を見るとか手振りとかも表情ありきなので、それだけあっても意味がない。顔が最初で、そこから先に他の部分が関係してくる。

そして最後に論理的なことについて。正直短い時間だと、相手が地頭がいいかどうかはわからない。だから肩書が正直大きくバイアスを与える。その点わかりやすい学歴と成績は重要な気がする。真面目かどうかとかも影響するけど。その上で、頭がいいかどうかを判断するには論理的かどうかをみる。論理的かどうかは、相手の能力と説得力の二つを左右するので非常に重要。なんとなくとかは絶対ダメ。その場で考えるのもダメ。事前に考えて来て、それが確実に穴がないかどうかを確認する。そして穴がなさそうに振る舞うのも大事。数学の世界ではないから、絶対的に論理的であることはありえなくて、最後は非論理的な部分が存在する。その部分は熱意とか経験で語るしかない。そこの隙間がないように論理は組みたい。抽象的なことから入ると穴ができることが多いような印象になってしまう。それ他でもよくないっていう。だから論理の出発点は他の人が判断できなくて、その人の言うことを信じるしかない場所にした方がいい。

最後に採用した子がどんな特徴があったか再確認してみようかなと思う。明るい、今まで頑張ってきてそれを謙虚に伝えられる、表情が豊か、面白い考えを持っている、頭がいい、肩書と実力が見合っている、しっかりと将来を考えている、自分がしたいことを納得できる形で伝えられる、挑戦している、対話ができる、他の人にはない経験をしている、適性が高そう、周りを調整できそう、自分の得意なことをしっかりと持っている、熱意がすごい、正直に話している、あたりのどれかに当てはまっている気がしました。結果論でしかありませんが。ただ、みんなが欲しいと思う子はやっぱりいて、自分が採用される側ならそれを目指していくことが重要なんじゃないかなと思った。

そして最後に一つ。最後の当落線上にいる子の中で誰を採るのかは相当難しいなと思う。そこまで行くと、もう人間性とかでは全員合格で、最後は好き嫌いとか他との相性とかになってしまう。そこで落とすのは相当にメンタルが削れる。なぜなら他の人との相性とか、自分がコントロールできない範囲でその子の人生が決まってしまうから。もちろんゼミごときで人生は決まらないんだけど、ほんの少しぐらいは影響を与えてしまうのは間違いがない。他人のことで久しぶりに泣いてしまった。なぜか悔しくて。人事というのは本当に難しいなと実感した。そんなことを考えました。

では。

今後の就活・留学について

先週、しばらくお休みをすると書いたんですが、ちょっと報告したいことがあってまたまたブログを書いています。

就活についてです。先日、以前より応募していたUC Davisに6月末から3ヵ月行くプログラムの学内選考が通過しました。個人的にはToeflの点数も高くないし、成績も悪くはないといっても抜群に成いいわけではないという状況下で、もしかしたら落ちるかもなあという一抹の不安を抱えていたので、素直に安堵しています。一方でこれは学内選考であり、UC Davis側が受け入れ許可を出してようやく確定するのでまだいけるかどうかはわかりません。ただ多分大丈夫なんじゃないかなと思っています。というわけで、確定ではないにしろ、多分6月半ばくらいからアメリカにしばらくいます。おそらく3ヵ月で帰ってきますが、もしかしたらもう少し放浪してから帰ってくるかもしれません。その時はその時ということで。何のために行くの?とかは日を改めて説明したいなと思っています。

そして関係してくるのが就活です。今まで散々喚いている通り、今は就活をしています。そして割と自分が頑固というか、プライドが高いというか、なんというかでそんなに行きたいと思える企業がなく、そしてその少ない企業も行けるかどうかかなり怪しいなという感じなので、このままだとマジで終わらないという悲しい感じになるなと思いました。それもあって、皆さんもご存じの通り、留学をして留年をすることで再トライしてみようという気持ちになっているというわけです。完全になめてますね。ただ、前回のブログで書いた通り、楽・/天(検索回避)から内定をいただいており、そこに行こうかどうかはいまだに悩んでいるという状況なので、どこも決まらなくてもそこに行く可能性も多少はあります。色んな人の話も聞きながら最終的に決めていこうかなと思っています。

そして具体的に今後どうしていくのかを記しておきます。誰の参考にもならないと思いますが。

まずは就活をします。2019年の6月まで20卒として活動をしようと思っています。ただそんなに数は受けないと思います。ディベを中心にいくつか自分が行きたいと思った会社を一桁ぐらいの数受けます。ただ練習用にそれ以外も受けたいと思ってはいます。

そしてこれがうまくいった場合について。すなわち、行きたい会社に内定をいただけた場合。とりあえず6月からしばらくアメリカに行きます。帰るのは多分9月末です。ちょっと未定ではあるけど。とりあえずそれぐらいを想定しています。そして、一応可能ならば留年させてくれないか頼むと思います。これはまだ社会に出たくないのと、もう一回他の国で生活してみたいと思っているから。ちなみに単位は足りてます。しかし、そんなにうまくいくとも思えないので、もし却下されたら諦めて2020に就職します。

そしてうまくいかなかった場合について。当然内定が存在しないという状況にあるので、もう一年やるのを前提にします。とりあえずはアメリカに行きます。そして留学をしていたという留年の正当化のための理由を作っておきます。そして余裕があれば11月までどこかにいて、ボスキャリに参加しようと思います。ここでもしかしたら内定を取りに行くという説があります。3日間しかないイベントですが、割と内定は出るらしいです。まあ現実的にはボストンまで行けないかもしれません。それは状況を見てまた判断します。そして基本的にはボスキャリに行かないことを想定して、また来年21卒として就活をします。えらい長期戦ですね。今年ダメなのに来年通るのかという疑問はさておき、一応もっと数を受けることも想定してやろうかと思います。ここで内定が無かったら絶望的です。一応そのあと6月くらいにある東京キャリアフォーラムに参加する手もあります。が、そんなにそれは甘くないだろうなと思っています。頑張りましょう。そして一応そこで就活終了という感じです。そこでもまだなければどうしようね、起業でもしようかな。

そんな感じで、高校の時に浪人するからという理由で頑として他の大学を受けなかった自分らしい選択だなあと思います。歴史は繰り返す。というか人間は3年では成長しないということでもありますね。とはいえ、まずは目の前の就活を真剣にやりたいと思っています。お互い納得いく就活ができることを祈っておきます。では。

p.s.

新しくインスタアカウントを作りました。留学とか含め、もう少し記録を残しておこうかなって感じです。pati_0326です。

お休み

突然ですが、しばらくブログを休載します。すみません。理由は思ったよりも就職活動が忙しかったためというひどく簡単な理由です。ブログ書く暇ぐらいは捻出できるものの、精神的に、そんなことをやっていていいのかという気持ちが出てきて、とても暗い色をした不安とも取れる焦燥感があることが原因。この現象には自分でもよく陥ってしまうことで、何なら常にこの焦燥感に苛まれているここ5年程なんですが、どうもこの性格は直りそうもなく、諦めて受け入れて、いっそこの感情を引き連れて生きていくことを決心しているぐらいなんですね。というわけでよもや一生就活が終わらないのではという気持ちを抑えつつ、もう少し気合入れてやっていきたいと思います。一方でインターンにも参加させていただいた某IT系の楽・天(検索回避)に内定をいただいて、現在絶賛勧誘を受けているという状況なので、もしかしたらそこに行くかもしれません。ただ行かなそうな雰囲気がしますね。ちょっとまた考えます。そんな感じで鬱ではあるので、ぜひ話相手になってくれることを皆さんにはお願いしたいです。就活をしている皆さんは一緒に頑張ろう。就活をしていない皆さんは残り少ない大学生活をちゃんと楽しんで、たまには愚痴を聞いてください。では。

進撃の巨人・東京喰種・約束のネバーランド

最近、いや最近ではないけど、進撃の巨人とか東京喰種とかが流行ってるよね。割とシリアス系で、そんなに大衆に受けるようなタイプの漫画ではないかなーと思っていたのだけど。やっぱりジャンプ系の友情・努力・勝利みたいな王道漫画が人気は出ることは多いじゃん。最近だと僕のヒーローアカデミアとかでしょうか。その中で進撃とか喰種とかが売れてるのは面白いなと思って、同時に思うこともあったのでちょっと書いてみました。

喰種とかって、所謂ハーフ系なんですよね。何とのハーフかというと、人間以外の新しい種族とか生き物とか。そういう作品は面白いことが比較的多い気がします。個人的にクレイモアという作品がとても好きで、ぜひ読んでほしいんですが、それも同じくハーフ系です。自分の中では、これらは寄生獣がルーツにあると思ってます。寄生獣も、普通に暮らしてた人間がある日突然謎の生き物に寄生されて、右腕だけ違う生き物になるっていう話。何ならルフィより前に手が伸びてるからね。もうワンピースの主人公の能力パクりやんっている。能力なんて往々にしてどっかで使われていたものと同じになるのでしょうがないですが。それで話は戻って、なぜ自分がこういったハーフ系の物語が好きかというと、大体のケースで強い葛藤が生まれるからだろうなと思います。基本的にハーフとは言っても、全然関係ないモノとのハーフではなく、生物とのハーフになる。生物にはそれぞれ意志があって、生物なりに生存のために最善を尽くしたりする。しかもこういう物語での生物は人間よりも上位の捕食者とかで、数は少ないマイノリティではあるものの、非常に強力で人間は生身では勝てなかったりする。そこでなぜか人間と混ざることになる。その本人は、人間側の主張も生物側の主張も分かっていて、そこには絶対的な善とか悪はなく、お互いの共存しえないエゴとかになっている。そのジレンマの中で、自分なりの納得を得ないととてもではないけど生きていけない。そこで普通の生活ではありえない苦悩や葛藤が生まれる。それを描くことによって、不自然でなくリアルなタッチで人間の感情を浮かび上がらせることができる。更に、人間の上位捕食者を導入することにより、ある種絶対的な存在であった人間を相対化することにより、人間の普段の行動に疑問を呈することになる。それは得てして斬新さを伴うので、読者は少なからず熱中してしまうんじゃないじゃないかと思う。つまり、最初の設定はかなりフィクションな側面が強いものの、それ以外の要素はほとんどリアルであるために、最初の設定だけ飲み込んでもらえば、そのあとは違和感なく葛藤や苦悩、問題提起ができるので、面白いと感じることが多くなるのかなあと思ってる。

それとクレイモアもそうなんだけど、シリアス系の進撃とか約束のネバーランドとかの特徴として、実は自分が見ていた世界は本当の世界の一部で、本当の世界はもっと果てしなく広くて異文化だったみたいなのも多いですね。これは昔からよくある手法なんだろうけど、世界が違うのに気が付くと、それまでの世界に起こっていた出来事の解釈が全部壊されて、すべてが辻褄が合う形で再構築されるんですね。読者は元々の世界観に没入していて、違和感は感じながらも元の世界が正しいと思い込んでいるから、そこで急展開と腑に落ちる感じを得られるのかなと思ってます。だから読んだ後の謎の高揚感が生まれて、面白いと判断することになるのかなと思う。ただ、これ昔は新しい斬新な描き方だったんだろうけど、もう完全に陳腐化してしまっているから、あ~はいはいこういう系ねってなるので嫌ですね。もう少しひねってほしいなと思ったりもする。

まあ何が言いたいかというとクレイモア面白いから読んでみてっだけです。

では

p.s.

AppleのワイヤレスイヤホンのAirPodsあるじゃん、あの白いやつ。あれダサくね?付けてる人美意識崩壊してるの?耳からタバコぶら下げてるみたいになってない?

どこにもいないから、探すというか、作ってる

自分探しの旅ってあるじゃないですか、あれって意味あるんですかね?なんというか、自分って旅先にいるんですか?っていう。一人旅はいいよ、自由だし、開放的だし。確かに無限に時間はあるから、思索にふける時間はあまるくらいあると思う。ただ、それで色々考えたところで自分って見つかるのかなって思う。個人的には、自分探しの旅で見つかるのは美味しい地酒ぐらいなものだと思う。それとご当地キティちゃん。これは見つかる。探さなくても無理やり視界に入れてくるぐらいに見つかる。でも自分なんて見つからなそう。

てかそもそも自分なんてどっかにいるんですかね。自分なんて、ただのイメージであって、なにか固体的なものがあるとは思えない。どちらかというと、限りなく気体に近い流動的なもので、捕まえようとしても、スルりと抜けられてしまいそうな感覚がある。伝わるかな?まあいいや。過去の積み重ねとしての自分がいて、確かにそれは紛れもなく自分ではあるんだけど、だからと言って未来の自分を表しているわけでは無くて、更に言えば今の自分すらその枠組みから完全に自由な存在な気がする。未来の自分は別に過去の延長線上にあるのではなくて、というかそもそも過去すらも連続な線ではなく不連続の繰り返しなんじゃないかとまで思っている。いや不連続の繰り返しというか、無数の点があって、それを回帰分析するみたいに近似できる線があるけど、あくまで近似してるだけみたいな。その程度な気がする。

そんなわけで、自分なんてどんなに探しても見つからないと思うんですよ。ないものを探しても見つかりっこないという理屈。だから自分探しの旅なんてするもんじゃないですね。

となると、自分は探すのではなく、作る方がいいんじゃないかと思う。さっきもあったように、別に自分の未来を自分の過去からのつながりと切り離しても大丈夫だと思う。一貫性なんていらんでしょ。時間はすべてを変えるのだから。蛇足だけど、一貫性があることが正しい理論って意味わからんくない?一貫性があった方がいいっていうのは、他の人が予測しやすいぐらいしかメリットがないような気がします。だって状況に臨機応変に対応することの方が何かに固執することよりもはるかに大切だし、判断基準自体も変わってくることの方が多いように思える。一貫性がある方がいいなら永遠に狩猟採集生活を送っていてください。話がそれました。自分がどういう風になるかっていうのは、過去にどんな人間だったかよりも、現在は未来にどうなりたいと思っているのかが重要な気がするのです。そうすると、多少無理やりでも新しい姿を具体的にイメージして、過去にとらわれずに冒険的に挑戦していくことが大事だと思う今日この頃です。より早く成長するためには高い負荷をかけたほうがいい理論と同じ感じ。過去を気にしてしまうのはしょうがないとは思う。コンコルド効果とかもあるじゃん。過去の投資が大きいとやめられないみたいな心理的効果のやつ。それでもコンコルドは製造を止める方が合理的なのと同じで、過去の自分は過去と切り捨てて未来の自分を作っていくことが大切なんだなあと思っています。そしたら、自分が望む自分に近づけるんじゃないかと思ったりしてる。

自己啓発本みたいな記事になってしまった。では。

p.s.

未来になりたい自分はプリキュアなんですがなれますか?

就活の軸

就活をしていて、面接で聞かれることランキングトップ2は「学生時代に頑張ったこと」と「志望動機」だろう。レアルマドリードもびっくりの最強2トップである。レアルがどんなフォーメーションなのかは知らんのだけど。就活生であれば、「学生時代に頑張ったこと」略して「ガクチカ」はそんなに困らないのではないだろうか。あまりにも聞かれるのである程度エピソードを考えてると思うんですよね。そのエピソードの強さはともかく。しかし志望動機。これはそんなにうまくいかない。当たり前なことに、違う会社であれば違う志望動機を考えなければならない。得てして本音と建て前は違くて、本音をうまく隠しながら建て前を色々考えることになる。そんな感じで何とかやっていくことになるんですね。

そして、志望動機の一種に「就活の軸は何ですか?」という質問がある。これに対して、就活生は色々と思い思いにしゃべっている。グループ面接(何人かを同時に面接する形式)でそれを見るといいようもない違和感を感じる。確かにみんなが喋っている内容は嘘ではないだろう。でも、面接官も学生もそんなに軸が少ないわけないだろうと思う。そんな二つか三つの軸だけで就活しないやろっていう。でも、自分がどんな軸で就活しているのかもあまり言語化できていなかったので、ここらで言語化してみることにした。ただこれを考えるには、どのように生きたいのかという大きな目標から逆算する必要があるんですね。そう考えると、この質問は短い割によくできているなあと感じた。ということで、一種の宗教観も持ちながら、ある程度一般性を持つ形で、自分がどのようにキャリアについて考えているのかをパワポで作ってみました。特に就活生には、もちろん他の人にもちょっとは参考になるのかなと思うので公開してみます。こんな感じでキャリアについて考えているよ~ってやつです。ちょっとは客観性と論理性があるように分解してみたので、ぜひ御覧ください。

ということで以下のPDFファイルです、どすん。

Dropbox - キャリアbyPati.pdf

 「これは違くね?」とか「こういうのもあるよね」とかあれば教えていただけると嬉しいです。

めっちゃ真面目な記事になりましたね。では。

p.s.

すべてを満たすのって高収入の優しい美女のヒモな気がするので求人出しておきます

18年間とインターミッション

今日はA2のテストが終わった。別にものすごい忙しかったわけでもなく、5科目だけである。ただ突然Toeflを受けたから実質6科目になったみたいなところはある。忙しくなかったかというとそれはそれで嘘で、学部に入ってテストを受ける度に怠惰な性格になってしまって、段々と事前に勉強しないようになったので、単純に前日の勉強量が異常に増えていって困ったなあという感じにはなっている。前日に勉強すれば間に合うと思ってしまうと、勉強しなくなってしまうよね。今回も完全にそれ。正確にはレポートとかがあって純粋に忙しかったというのもあるけど。まあそんなことは置いといて、ここで言いたいのはA2のテストが終わったということになる。もしすべての単位を回収できていたら、これで78単位を回収できたことになる。経済学部は80単位を集めれば卒業できるので、残るは2単位ということになる。2単位ということは経済学部においてはそんなに苦労せずにとれる。多分。そして、留年をする可能性を残すために、単位は意図的に残しておかなくてはいけない。東大の場合、単位を取り切って卒業の要件を満たしてしまうと、留年したいって言っても卒業になってしまうんですね。留年したい人は気を付けてください。そんなにいないかもしれませんが。そして、ゼミは一応あるんだけど、自分は自主ゼミに入っていて、単位が出ない代わりに隔週にしかない。更に言えば、自主ゼミだからぶっちゃけ休んでも問題がない、ここだけの話。

というわけで、本日をもって実質的に学校というものから解放される。自分の場合には幼稚園に通っていたから、3歳のころからほぼ毎日学校に通っていたことになる。それが本日で終了である。18年間にもなるのか。20歳と少しの中での18年。あまりにも長かった。別に幼稚園の頃とかはそんなに記憶もないわけで、別に長かったなあと初心に帰ることはないのだけど。単純に18年間という年月を見ると長かったんだなと感じる。2歳までなんてほとんど記憶はないのだから、学校に行くというのが自然の状態になっていた。毎日、とりあえず朝起きて学校に行くっていう生活が終わるってことだ。ちょっとした感慨深さがある。一つの区切りみたいなのが自分にできた。多分もう少しで就職することになるから、そしたらまた毎日仕事に行くという生活が始まるので、それまでの少しの間の休憩。社会がこのままの状態で行けば、数十年は毎日朝起きて仕事に行くという生活をする羽目になる。その地獄のような世界に行くまで、少しだけモラトリアムを得ることになる。ちょっと前に発売した乃木坂の生田絵梨花さんの写真集のタイトルがインターミッションで、これは舞台で幕の途切れを意味するらしく、そんな気持ちである。インターミッション。自分の人生の第一部が学生生活だとして、第二部が社会人生活だとすると、その間のインターミッションが今日からほんのしばしの間になる。自由の身ではあるね。やりたいことをできる絶好の機会かもしれない。少し、立ち止まって、いろいろ考えてみてもいいね。就活がまだ終わらないから、そんなに自由にいろいろやることはできないのだけど、それでも少し気が楽になる。やっぱり大学に追われるのはなんだかんだ大変だし。この時間を得られる幸せを感じながら、ゆっくり生きていこうかと思います。

そして、せっかくの区切りなので、何かしようかなと思って、一人焼肉とか行って勝手にエモくなるやつでもやろうかなとか、自分へのご褒美的なノリでスイーツでも買おうかなとか考えたんだけど、ただ経験的に考えると虚しくなるだけだと予想できたので、なんとなくバイトを入れて、9時まで働いて帰った。でもそれだけだとそれもそれでちょっとつまんないなとも思ったので、何か区切りになることとでもしようと考えた。

そして、思いつきでいつも履いている靴を捨てた。そして以前に買ったけど、一回もまだ履いていない靴を出してきた。今の靴はもともと結構使い古してしまったというのもあるけど、過去と今日からを区別するために、学校から帰ってきて、そのまま捨てた。新たな一歩をまた踏み出すために。靴が変わっても、何も変わらないなんて、それは紛れもない事実なんだろうけど、時にはそういう合理主義的な発想を捨てて、少しエモーショナルな行動をしてみようと。新しい靴を履いて、新しい足音を響かせて、ゆっくりインターミッションに進んでみよう。そんなことを思う、最後であり、最初の日にした。では。

p.s.

嵐が解散したので、就活辞めて代わりに嵐になろうかなと思ってます