夢想家

夢の続き

2018年を振り返って

さて、年末です。皆様どのようにお過ごしでしょうか。年末恒例の儀式、今年はどうだったか振り返るやつ。どの程度深堀するかは別として、なんだかんだ毎年律儀にやってます。ちなみにマジで不毛。まず過去を振り返ることには大して意味がないじゃん。振り返ったところで過去は変わらないし。そこから教訓でも得て次につなげればいいのだけど、まあそんな向上心もないわけ。状況が違うんだから教訓も何もないだろって自分に言い訳しがち。ただ不毛と言っておきながらちょくちょく過去を振り返るのは、ただそこに自己満足の世界が広がっているから。世の中有益じゃないからいらないってわけではないからね。不毛なことにこそ輝きがある。適当やけど。そんなこんなで今年も今年を振り返ろうかなと思います。いやでも冷静に人様に公開するものでもないな。まあいいか。

まず今年の二大テーマは鬱と就活である。鬱に関しては某氏と同じく今年の漢字ですね。清水寺のお坊さんが習字で書くのしんどそうですね。めっちゃ間違えそう。誰も突っ込めなさそう。あれ間違えてね?とは言えなそう。ついでにちゃんと書けたとしてもめっちゃつぶれてそう。習字で書くには画数多すぎやろって切れてそう。知らんけど。

今年の元旦にはこんな一年になるなんて想像もしてなかった。さらに言えば、自分がこんなメンタルになるなんて今までで一回も想像してなかったんだよな。そう考えると就活の自己分析なんて無意味なんじゃないかと思う。自分なんて結局わからんやろっていう。そこで分かった気になって自己満足に浸るならそれはそれで悪くないけど。そんなことをうんうん家で考えるより、いろんなことを経験したほうがよっぽど自分についてわかるのではないだろうか。

そして今年学んだのはその場の一瞬の判断が人生を一変させる可能性があること。人生なんて偶然の連続であり、そんなものをコントロールしようなんてのは、とてもではないけれど不可能というか、無意味である。もちろんそんな意見もある。一方で細かい選択の組み合わせが人生を形作っていくのもこれまた真実で、ちょっとした選択が人生を狂わすことも輝かせることもある。自分が生きたいように生きるには後者を信じて、最適な選択をしたいもの。でもやっぱり後悔しちゃうよね。うーん悩ましい。その場で最適な判断をしてるわけだから後悔なんてする必要がないのに。ま、いっか。

そんなこんなで今年は自分や自分の将来について初めてちゃんと考えた年になりました。今まで真面目に考えてきたことないんですよ。とりあえず今が楽しいから生きてるみたいな。そんなこんなで生きてきても、なんとなく社会的な間違いを犯すこともなくここまで来て、まあここからもそれでなあなあで生きてくこともできるんだけど、なんか就活は今までよりはるかに選択肢が多くて、どうしても迷ってしまうんだよね。選択肢が一定以上多いと選択が面倒になって結局何も選ばない確率が上がるみたいな行動経済学の理論があるじゃん。それと同じでいろいろ選択肢があって迷いすぎて無気力になってしまってます。ていうか留年しようかなと考えています。まだ選びたくないこともあって。それも一瞬の思い付きなわけで、人生はどうなるのかわからないですね。そんな感じです。

とはいうものの、楽しいことがなかったわけでもありません、当然。色々新しいこともできたし、就活を通して友達が新しくできたり。そんな風にやって行けたらいいのかなと思います。では。

p.s.

最近は毎回p.s.書いてたんですけど、なぜか忘れちゃいました。今後気をつけます。