夢想家

夢の続き

雨、逃げ出した後

少し前に、約2年半続けてきた部活を休部することになった。退部ではなく休部なのは、今後復帰する可能性を残しておくためである。ここでは、なぜ休部したのかを記しておきたいと思う。これは、誰かに読んでもらいたいからではなく、ただ自分の感情を吐露する場が欲しかっただけだ。そんなわけでダラダラと書いていくので気が向いたら読んでください。

そもそも今回休部をしたきっかけは就活で時間がなくなってきたからである。基本的に弓道の練習というのは毎日に近い練習をしていく必要がある。しかし、インターンとかが入ってきてそもそも練習することができなくなってきた。さらにできれば就活を優先したい中で、不定期に突然就活の予定が入ってくることがあるため、部活を中途半端に続けることになって嫌だったというのがある。それでは、頑張ってる皆に悪いし、顔が立たないような気がした。

でもそれはあくまできっかけに過ぎず、理由ではないのかなと思う。忙しくても部活を続けることはできるとは思う。大変ではあるけど。それにもかかわらず休部という選択をしたのは、根本的に部活を続けたくはないという気持ちがあるからだ。ではなぜやめたいのかと考えると、結局弓道をやっている、あるいは部活をやっている自分が嫌いだったからだと思う。正直なところ、弓道は割と好きだった。結構やっていると奥が深いし、永遠にやりたいことがなくならない、やりこみゲーのような部分があって面白かった。中っていたら満足も得られるし、ストレス発散にもなる。さらにあまり中っていなくても、どうしたら中るようになるかを考えながら引いて色々試しているとちょっと楽しくなってくる。まあ世の中にはもっと面白いことがあるかもしれないが、結構楽しめるものだと思う。

でも弓道をやっている自分は嫌いだった。ある時期に、悪い癖が出て、なかなか抜けず、それを直そうとしているうちにそれに気を取られて色々他の悪いところが出てくるという泥沼のような悪循環に陥った。そのせいで思うように結果が出ないということがかなり長期間続いてしまった。最近はだいぶマシになってはきたのだが、それでなかなか高的中が出ない中で諦めずに練習している自分が嫌になった。ほぼ毎日数時間練習してその結果だと、時々虚しくなってくる。そのせいで、いつの間にか弓道をしている自分のことが嫌いになってしまった。弓道が嫌いではないのに、なんとも皮肉に思えてくる。

俺は、自分のことが嫌いであることが耐えられなかった。それはある種自分のことを客観視している癖の悪影響だ。でも、それをしている自分のことを好きになれるかどうかという基準は大事にしている。昔から、嫌われやすい性格で、誰かに好かれることがなかったから、せめて自分だけは、自分だけでも、自分のことを好きであってあげたいと考えている。より言えば、そうでなくては生きていくエネルギーがなくなってしまいそうだった。だから、これ以上自分のことが嫌いにならないように、休部という選択肢をとった。

弓道は文字通り「弓の道」なのだと思う。終点は百発百中なのか、試合で勝つことなのかはわからないし、そもそも終点なんてものがあるのかどうかすらわからない。でもそのあるかどうかもわからない終点に向かって、自分だけの曲がりくねった道を一歩づつ歩き続けるしかない。そこでは下がるなんてことはなく、途中もしかしたら終点とは逆方向に道が続いてしまっていても、それでも歩き続けたらまた終点に向かっていくと信じて、歩を進めていく。スキップするかのごとく軽い足取りのこともあれば、一歩を出すのも大変な時もある。おそらく終点に近づいていける人はどんな時でも毎日歩き続けられる人のなのだろう。そういう人が、自分から見たらとんでもない場所にいる人なのだろう。だから、そういう人はどんな時でも諦めずに進むことが大切だと説くのだろう。でも自分は歩を止めた。自分が背負っている荷物の重さに押しつぶされた。その荷物は、日に日に重くなっていて、それでもあきらめずに足を引き摺ってまで進んでく強い意志もなかった。もう荷物をおろしたくなった。もう歩き疲れてしまった。そしてここで遂に足を止めた。その決断が正しかったのかどうかはわからない。多分、周りからみたら正しくないのだと思う。同期から見ても、全然知らない人から見ても、もっと歩けるだろって思われると思う。確かに歩こうと思えば歩けたのかもしれない。いや、きっと歩けた。けど、歩かなくていいと判断した。もう、傷つかなくていいと自分で自分を許した。

部活は大学一年の五月に始めた。そこからは少なくても毎週少なくても5日は練習に行った。休んだのは、二回あった年末年始の時ぐらいだ。部活を中心に大学生活がまわっていたし、部活を軸にして予定を組んでいた。部活のために、ものすごい数のものを捨てた。誘われても断ってきた。どの選択肢をとるにも、頭の片隅には部活があった。この大学生活は、部活ありきだった。そんな、いつも中心に据えていた部活を突然捨てた。ほとんど誰にも相談しなかった。負い目もあったと思う。自分の選択を、誰かのせいにしたくなかったのもある。幹部にメールをして、ミーティングをして、あっさりと理解していただいた。そして、そのまま、その日を最後に道場を後にした。最後に少しだけ諦めきれないように弓を引いて。そして、同期の誰にも言わずに、荷物をもって、部活を去った。その日の夜に、休部することだけ伝えた。理由は書かなかった。それが自分の美学であり、礼儀だと思ったから。悲しまれるのも、同情されるのも、嫌だったし、聞きたくなかった。誰かに理解されたくもなかった。

時というのは無情なほどに流れていく。最後だから、突然中るようにもならないし、最後だから、時が流れるのが遅くなりも速くなりもしない。ただいつもと同じように時は流れて、過ぎ去っていく。まるで、今までの大切なことがなくなったことにも気が付かないように。淡々といつもと同じように練習して、いつもと同じように「さようなら」と声をかけて、道場を出た。その言葉の重みにも目を伏せて。そして、いつもと同じように帰り道をたどった。その日の夜は、自分にとって部活とは何だったのかって考えた。色んなことがあって、とても大切な人に会って、様々なことを学んだ。入らなければ良かったって、何回も思った。数回なんてレベルではなくて、何百回も。でもそれと同時に入って良かったとも何度となく思った。結局、結論は出ないけれど。そして、いつも通り朝が来て、いつも通り大学に行って。部活はないけれど、それ以外は何も変わらない日常が始まった。自分の心は、見ないようにして。

自分がやるべきことって何なんだろうね。いつか見つかるのかな。見つかるといいな。自分がいても大丈夫な場所なんてあるのかな。結局、部活も居場所にはならなかったな。ずっとそんな感じがする。家にも、学校にも、中学の部活にも、高校の部活にもずっと居場所がなくて、独りでいられる場所でイヤホン付けて自分だけの世界に閉じこもって。コンプレックスにがんじがらめになって、誰にも心を開かずに。いろんな人に支えられてるなんてそんなの分かってるし、周りの人がやさしくしてくれてるなんてこともわかってる。それなのに、自分だけがいつまでも独りに感じて。存在さえしない敵といつまでもいつまでも闘って。それで勝手に傷ついて。周りに迷惑をかけて結局自分だけ逃げだして。そんなだから、過去だと切り捨てて、どんどん周りに人がいなくなっていく。その繰り返し。自分は独りでも大丈夫なんだって自分に言い聞かせるのも、もう限界だって気が付いてる。本当はもっと周りに支えられないと、どんどん自分の背骨が曲がっていくってわかってる。でも周りと関わるやり方なんて知らなくて、また苦しんでいく。それがずっと続くんだろうなって思う。自分の境遇はきっとものすごい幸せなんだろう。東京に生まれて、両親がともにいて、やりたい事をやらせてもらえて。お金に困ったこともないし、教育にもお金をかけてもらって東大にも現役で入れて。多分このまま、それなりの仕事に就いて、何の問題もない人生を歩んでいくこともできるだろう。他の人からしたらすごく羨ましがられる境遇にいながら、なんでこんなことになってんだろうな。これが生きるのに向いてないってことなんだろう。あまりにもむなしくなってくる。それでも、この現実から逃げ出すことはできないから、これからも苦しみながら進んでいくしかない。自分でこの人生を捨てる勇気もないから、電車を前にしても、高い橋の上でも、そのまま歩きだしたりはしない。本当はその勇気があればいいのだけど。自分にすべての原因があるって自分で十分に分かってるから、どんどん泥の中に沈んでいくような錯覚に陥っている。もがけばもがくほど、どんどん沈んで行く。もういっそ、もがかずいるのがいいけど、もがかずにはいられない。そんな人生。もうこの辺でやめようか。ずいぶんと話しがそれちゃったね。忘れてください。