夢想家

夢の続き

陰キャ論

僕は陰キャである。これは普遍の真理だ。リンゴが落ちるのは重力のせいである、と同じくらいに。疑いようにない。もう小学生の時から知っている。友達100人に聞きましたってやってもほぼ全員陰キャですと答えると思う。陰キャ故に友達100人もおらんけど。まず陰キャかどうか考えてる時点で相当な陰キャだと思うんすよ。

陽キャ陰キャの何が違うのか。それを考えることがある。まず目の輝きが違うとか、友達の量とか、はたまた眼鏡率とか、色んな要素があると思う。でもそれは陽キャ陰キャを分ける、定義的な特徴ではないと思えるんだよな。たまたま陰キャは目が死んでいて、陽キャ陽キャ故に結果として友達が多くなるみたいに。じゃあ何が両者の違いなんやろな。正直まだ自分でも答えはでていない。だから答えが出ないなりに、自分に引き付けて理解しようという試みをやってみる。

自分が陰キャである一番の理由は、「盛り上がる」ということができないからなんじゃないかと思ってる。基本的に感情が正の方向に一定以上に高ぶらない。陽キャってすごいじゃん。それそんなにすごいか?ってことで盛り上がれるじゃん。カレー見てめっちゃテンション上がるWANIMAみたいに。久しぶりの知り合いに会った時の比喩じゃなく飛び跳ねる女子みたいに。いやそれできんて。カレー見ても別に「カレーか~」と思うだけだし、久しぶりの友達に会ってもちょっとうれしいぐらいだし。それを人生で一番実感したのは高校の時の文化祭。軽音楽部がライブをやっていて、友達もいたからそれを見に行ったんだよね。まあすごい盛り上がってるわけ。前の方でみんなヘドバンしてる状況。そこで俺は若干引きながら見てたら、友達に前のほうに引き摺られて無理やり輪の中に入れさせられたわけだ。そこで心の底から痛感したことが、俺は疑いようもないガチ陰キャであり、陽キャとは感情の使い方が違うってことだった。一生懸命歌ってるのを見てもなんも感情が動かなかった。うまいな~ぐらいにしか。しばらくしてその輪から抜け出して、誰にも見つからないように帰った。その時、同時に憧れた。その憧れの対象は、一心不乱に歌う軽音部でもなく、ヘドバンしてる観客でもなく、その場で「盛り上がれる」メンタルだった。そのメンタル面が決定的に違っていた。それはこれからの努力とか心がけで変えられる代物ではなかった。そりゃ陽キャのフリをすることはできなくはない。服装や見た目をマネすることは容易で、陽キャが好きそうな場に行くこともできるし、陰キャ故に陽キャを観察することがあるからその言動をマネすることもできる、頑張れば。でもどこまで行っても「頑張れば」なのである。それを心から楽しむことはどうしてもできない。飲み会でコールを振られても、めっちゃ盛り上がってるカラオケに行っても、海に行っても、クラブに行って知らない人の手を取って踊っても、まったく楽しいと思えない。いやつまんねーと思う。だからこそ、陽キャが羨ましく見える。なんか楽しそうじゃん。皆で盛り上がるとかさ。そりゃやってみたいよ。ドラマとか漫画とかに出てくるキャラは皆なんだかんだ陽キャやし。当然憧れる。でもそれはもう無理なんだよな。20年生きたらもうそういう根本的なものは変わらない。だから、もう陽キャになるのは諦めた。実は、もう陰キャである自分に愛着もあるし。でも陰キャには何か才能がなくちゃいけないんじゃないかとも思ってる。陰キャでも、例えば芥川賞取れたり、Mステでそれっぽい歌詞を歌えたら許されるじゃん。だから陰キャのくせに才能のない自分を許せない。せめて天才であれっていう。

そんな、自分のあるかどうかもわからない才能を探してる陰キャによる陰キャのための陰キャ論でした。では。