夢想家

夢の続き

子供の頃に想像してた「大人の自分は」…… もっとこう…… ブッ飛んでた!! 

小学校一年生のころ、小学校六年生はひどく大きく見えた。小学生のころ、中学生は格好良かった。中学生のころ、高校生は大人びていた。高校生のころ、大学生は大人だった。そして今、大学生を迎えて、就職活動を前に社会人がもう背中まで見えてきた。

でも本当に、小学六年生の自分は大きくて、中学生の自分はかっこよくて、高校生の自分は大人びていただろうか。今の自分は大人だろうか。毎回、今の自分を改めて見てみると、何も成長できてないなと思う。その各段階は途切れている階段のようなものではなく、連続的に変化していく、限りなく傾きが0に近い坂であるようだ。それに気づくたびに自分が情けなくなる。

昔、宇宙兄弟という漫画を読んでいた。そこに出てくる真壁というキャラクターがいる。真壁は優秀で、大手企業の研究職に就いているという設定だった。そこであるシーンがある。そこでのセリフ。

 

「 子供の頃に想像してた 「大人の自分は」…… もっとこう…… ブッ飛んでた!! 

 

これを読んで、いつからか未来の希望がどんどん小さくなっている自分に気が付いた。

なんとなく就職して、なんとなく単純な面白くもない仕事をして、なんとなくだらだら休日を過ごして。それが本当に子どもの頃に想像していた「大人の自分」だろうか。いややっぱ違うよな。もっとこう……ブッ飛んでたよな。そんな気がする。そりゃあ自分は宇宙兄弟の真壁みたいに宇宙飛行士にはなれないかもしれない。そんなことはわかっている。でも、ただ給料がいいからとか、知名度が高いからとか、転職に有利だからとか、そんなことで仕事とか、それにつながる「大人の自分」は選んではいけないよなと思う。

それとこのセリフには続きがある。

「 このままここを 一生の仕事場と決めてしまっていいのか……? なんの引っ掛かりもなく堂々と言えるのか……? 「これが……」「俺の一生の仕事です」……って 

やっぱり堂々と言いたいじゃん。胸を張って、「これが俺の一生の仕事です」って。正直、ここまで自分は逃げてきたと思っている。なにがやりたいのか決めたくないから、とりあえず東大入って、とりあえず経済学部行って。でももうそれは終わりにしたい。自分の天職なんかはわからない。でも転職できるから、とりあえずコンサルみたいな、そんな逃げはもうしたくない。何が食べたいかわからないからとりあえずビュッフェ行くってか?そんなのもうやめよう。

最近は就活に押しつぶされそうになりながら、そんなことを考えています。いつか胸を張れるように。子供のころの自分が憧れる存在になれるように。

では